趣味について色々書く

書きたいことを書いて捨てるための空間

手段に目的が追いつかない話と自重

自分の中にはクリエイティブな活動をしたい自分がいる。
クリエイティブな活動をしたい自分は主に「動画を作りたい」「絵を描きたい」「ブログを書きたい」という3つを求めている。

ただ、自分はそこに「目標」が存在しない。
こういう動画を作りたい、こんな絵が描きたい、こういった思いをブログに書きたい。がないまま創作したいという手段のみが先行することがある。
これのよろしくないところが、モチベーションこそあれど結局何も創作できないため、フラストレーションのみが募るところだ。
作りたいという欲望があるのに、いつまでも発散できず心にモヤモヤを抱えてしまう。

目標がなくても創作活動自体はできる。
ただ、自分に関して言えば「目標」という目印がないと自分は創作活動を継続することができない。
やる気というゲージが自分の中では数値化されており、大体そのやる気が7、8割ないと自分は行動に移すことができない。
しかもそのやる気というのは継続して活動すると徐々に目減りしていき、次第にやる気がなくなり活動をやめてしまう。
そのため、何も目標も持たずただ何となくで始めても自分はすぐに途中で投げてしまう。
このブログを見ても、あるとき急に浮上して何かしら書いたかと思ったら数ヶ月単位で書かなかったりする。
書きたくないわけじゃなく、書くという行動までに行くことができない。書きたいけど書く気力がない日もあったりする。
なら書けばいいのにとも思うのだけども、書くための動機、目的がないとモヤモヤしながらも書かないんだからふしぎなものである。

手段が先行して目的もなくただモチベーションのみが沸々と沸いている時に自分がよくやることが「自重」である。
じちょうではなくじじゅう。
自分に圧をかけて「やりたい」から「やらなくちゃいけない」に変えることで無理やり目標を作り行動に移す方法である。
そうする事で、何かしらに迫られた気持ちで一定期間活動を継続することができる。
ただ、自重には恐ろしい副作用がある。
「やらなきゃいけない」切迫感で行うため、精神衛生上あまり良くない状態になってしまう。
そして一度その切迫感から離れてしまうと、どれほどモチベーションをあげても活動することができなくなってしまう。
もう一度同じように創作しようと思うと必ず先にそれまでの切迫感、負の感情がやる気を落ち込ませてしまうのだ。

この現象は自分の中ではよく起こっている事で、最近もこんなことがあった。
一度漠然と「絵が上手くなりたい」と思って絵の練習本を読みながら毎日模写を行なっていたことがあった。
毎日一枚描くことで、無理やりやる気を出させていた。
でもある日、絵を描く練習をやめてしまった。理由なんてなく。
その後は全くといっていいほど練習用の本を開けることはなく、絵を描くこともなくなってしまった。

自分にとって「ただ続ける」という行動はかなり重労働である。
そこに何かしらの達成感や喜びを見出せないと続けることが難しい。
そしてその活動が長引けば長引くほど、続けるのをやめたときの反動がでかい。

そしてここらまで書いてきたところでやる気がなくなってきた。
まあ書きたいことはざっと書けたので、今回は満足。
そもそも自分はあまり集中力が長く持つ方ではない。
誰かと遊ぶとなれば何時間でも集中できるが、創作しようと思うと大体1時間が限界である。
1時間で限界が来ておきながら、そこから繋いで次集中力のある自分に託すということもできない人間なため、あまり大きな何かを作ることができなかったりする。

そう考えると自分はなんて創作活動に向いてない人間なんだろうと思う。
今も「創作活動をしなくちゃいけない」という自重に圧されているのかもしれない。